むかしむかし・・・・ 003

ツアーの最初は、四国に香川:高松→高知だった。

 実に、飛行機大好きの私だが、生まれて初めて飛行機に乗っての仕事だった。


記憶というものは、案外変な時によみがえるもので、最初の大阪行きのジェット機に機内の様子は、覚えていた。


 羽田で隣の席は、陽水バンドの柴田君だった・・?・・・ように思う。陽水バンドの面々には、実にこの日が一番最初だった。

R.C.のドラムは、ウータン鈴木。
対して、陽水バンドのドラムは、あの和田ジョージさんだった。フラワー・トラベリング・バンドをはじめ、内田裕也さんの後ろで叩いていた勇姿を覚えていた。

ジョージさんには、これが最初で、後にロッキンFでバンド・クリニックのドラム担当の執筆を頼む事になるのだが・・・、何せ、陽水も本物は初めてだった。


大阪にジェット機で行き、そこからYS-11で高松まで飛んだ。
伊丹空港だった。関西国際空港なんぞ、まだ計画段階だったように思う。
何せ1978年のこと。

高松も今は、山の方に空港も引っ越したが、あの頃は、高松の街の方にあった。なんか、小さな小さな感じのした空港だった。

やはり、初めての事というのは、ある状況で閃き想い出すものである。高松のホテル・・??・・は”旅館”のような間取りで、”大部屋”だった記憶がある。


そして、高松〜高知は、電車・・・・??・・じゃなくディーゼルカー・・?・・だった。

ちょうど、9月にはいったばかりで、台風が来ていた記憶がある。
高松の会場は覚えてないのだが、高知は体育館・・・・・・だったような。
台風の雨がすごかった。



次は・・・?・・・新潟?だったかと・・・。
新潟空港まで飛んで、確か新潟を終えてそのまま列車で、どこかに移動した記憶がある。
なぜ覚えているかというと、当時、ソニーのカセット・デンスケという比較的大型のテープレコーダーを持ち歩いた事がある。

それで、新潟からの移動の車内で、流して聞いてたら、陽水に怒られた・・・ことがあった。

・・・確か・・・・金沢に移動した???・・・のかもしれない。
この時のドラムは、ジャズの畑の人で、津田俊司さんだった。この人は、私の知り合いで、デビッド・ガリバルディー張りのタイトなスタイルの人で、ソウルバンド仲間の先輩。

ストラッツよりも先輩バンドだった、エボニー・ウェストというバンドの人だった。

実は、尚美時代に国立音大の在校生で作っていたオーケストラに入れてもらった時依頼の付き合いの人。


金沢の時の会場は、よく覚えてる。
「実践倫理会館」という金沢の街の東側の丘の上にあった。
津田さんと会館の周りを散策した記憶がある。

ホテルは、寺町辺りのビジネス・ホテル。
ココで、確か、紹介した責任・・?・・ということで、津田さんと同室になった。


まッ、こんな感じで、清志のことは出て来ない事も多々ある。

金沢の時に気がついて来たのだが、本番前にリンコと清志は楽屋からいなくなるということ。
四国の時は、別の部分に気を奪われて、気がつかなかったが、15分位トイレに二人して入っていって出て来ない。

この辺りが、私の生活倫理に反してくるのだが・・・。

このツアーが全部終わった時に、陽水の事件があったのを、ご記憶の方もあるだろう。
あの時も大変だった。



そして、ツアーは沖縄、九州と続く。-続-