いろいろ・・・やってきました。003 [採譜&執筆} 編に至るまで・・・。

自分の過去の経験(実績)を語るのは、やはりあまり好きではないのです。

事実、ここで書く”執筆”についてもそうですが、「過去の自分は捨てて行く。」・・・という信念(?)みたいなものがありました。
したがって、ここでの実績の中心になる”立東社”&”リットー・ミュージック”の頃の出版物のほとんどは、度重なる引越しの際に、部屋の裏の路地に積んで捨てて来たのであります。


まずは、ことの発端であります。


”尚美”の2年半ば、ピアノの授業についていけなくなった私(正直に・・・)は、中退を決意。
赤松学園長も引き止めてくれたものを、ツッパリ??・・・で中退。



”遊んでいる”訳もいかず、測量会社でアルバイトをしました。
その後、友人の紹介で、「キャバレー回り」をはじめて、”その手”の最後の店は、赤坂でした。
小さなコンボで(Sax.Gt.Bs.Ds)韓国の曲を演奏する店でした。バンドリーダーは、今、「テレビ東京」で伴奏をしてブラウン管で皆さんご存知の、クリアトーン・オーケストラのバンドリーダーの岡宏さんでした。


岡さんは、Ten. SaxとSop.Saxの持ち替えでして、譜面は、タイトルがハングル(勿論、日本語のタイトル添え書き付き)で、私が聴いた事のある曲は、ところどころ・・・。
・・・・まっ、この時期の事は、また別の機会に。


 そこが終わって、すぐに、「ソウルバンド」を作る・・・という話が来て、知り合いの知り合いで、Bsの松永君という人とあるバンドのリハに通っておりました。
 しかし、そのバンドは、中途でパンク。

そこへ、松永君から紹介されて、行ったところが、後のロング・ランとなるバンド「ディノ&Soul Struts」でありました。リーダーのディノは、アメリカ大使館務めの日本語バリバリ黒人。

初めてのリハで顔を合わせたのが、今のヒロ小川くんであります。
彼は、まだ法政大学の学生でした。

ドラム:板垣くん・・・等々のメンバーで仕事が始まり、メンバーも様々入れ替わりまして・・・。
ディノは、Ten.Saxで、そのうち、Tp.も入れようという事になりました。
そこに何人かのTp.の人が(コレは、日本人)入れ替わり立ち代わり・・・して、神代さんという国立音大出身の人で、やっと落ち着いてきた頃でした。



基地回りが多くなり、おまけに新宿や横浜BPなんぞという半レギュラーの仕事が続くようになった頃でした。
神代さんから、「阿部君、ギターのレコードを譜面に出来る?」・・・と話をいただきました。


実は、神代さんの大学の友人の江守幸一さんという人が、「大洋音楽出版」に勤めていて、”オールマン・ブラザーズ”の「ギター譜」の本を出すので、ギターの譜面を採れる人を探しているという。

尚美の頃から、ケニー・バレルやラリー・コリエルのソロを研究のために譜面に採ることを、自己啓発の一つとしてやってきたので、即引き受けたのであります。

はじめは、その手の作業が「仕事」になる・・?・・・・ということに半信半疑だったのですが、何曲かの入ったテープを受け取り、採譜し、納品したのであります。



そして、納品し終わって、2ヶ月位経った時に、大洋音楽出版から大きな封筒が届きました。
中には、「ウィッピング・ポスト」?・・・・とか、私の採譜した譜面が、綺麗に印刷された本が入っていたのでした。

その翌月だったか、銀行に原稿料が振り込まれる・・・・という、まるで、本で読んだような生活が始まったのであります。
そして、その後15年に渡る執筆生活の始まり始まり・・・・で、あります。

  • 続-