いろいろ・・・やってきました。002

そんな訳で、当時はまだ”DTM”なんぞ、ありもしない時代でしたので、スコアは書いてもサウンドチェックはパート譜に写譜して、初めて結果の解かる・・・といった具合でありました。

尚美の時代の蛇足ですが、学園内にはJazzを志す先輩が多数いまして、私の入った”基本科”といういわば予備クラスにも、ギターで何人か、サックスに一人・・・と結構歳の行った先輩達もいて、なるほど、順調に年月を過ごして来た私には、少々ショックがありました。

そのサックスの人が、「峰厚介さんの弟子」ということで、銀座のジャンクに連れて行うこともしばしばでありました。・・・というか、アルバイトでジャンクのウェイターをやっていたらしい。
お蔭で、「渡辺貞夫さんの作ったフルバンドのリハ→本番」とか当時大ヒットしてた「菊地雅章セクステット」??のリハなどなどの当時としては、得がたい経験をさせてもらえました。
当時ヒットしておりました「ダンシング・ミスト」の裏舞台を見学できました。


実は、”ジャンク”に何度目か行った時に、日野高校の同級だった宮崎隆信君とばったり。彼もジャンクに勤めていて、やぁやぁ・・・と再会を果たしておりました。
後に、やはり銀座のスウィング・スウィング・スウィングに友人のピアニスト森田潔さんについていった時、宮崎くんはその店の”店長”をやっておりまして、「出世」の姿を見る事が出来ました。

現在は、小岩で”COCHI”というこの世界では名の知れたお店のオーナーになっております。
http://www.jazz-cochi.com/



−続-