むかしむかし・・・・ 002。

そして、一週間後には、渋谷の渋谷橋のそばにあったスタジオでのリハが始まった。

もっとも、これは、1〜2週間後に始まるツアーのためのリハで、清志が決めたメニューでのリハだった。

当時出たばかりのシングル「わかってもらえるさ」から「スローバラード」「ダーリン・ミシン」・・・だったような記憶。
ドラムは、スタジオブッキングの方から来た”ウータン鈴木”だった。


渋谷からの帰り道すがら、当時私の部屋は、急いで借りた事もあって、風呂が無かった。
安い安い部屋だった。
当然、風呂は外なのだが、生活の時間帯の関係もあって、よく安いサウナに行く事が多かった。
当然、家で仕事をしている日は、近くの銭湯に行くのだが・・・。


大体リハは午後からで、7〜8時頃に終わる。渋谷辺りには意外とサウナが多かった。
それで、清志を誘ったりした。

”サウナ”で記憶に残っている出来事といえば、100℃のサウナルームで、清志と入っていると、彼が急に「腕立て伏せ」をはじめタコとがあった。「あんちゃん、死んじゃうよ!!」とびっくりして止めようとすると、ニヤ〜〜ッと笑って、「シンガーは、”腹筋”だよ!!」・・・て言って、20回ほどの腕立て伏せをやってしまった事だ。
何にしても、「大した奴だ」・・・と敬服した記憶がある。


そういえば、当時、”R.C.”をはじめて、他に国立在住のミュージシャンで組まれたオーケストラがあり、仲間に入れてもらっていて、録音会なんぞに望んだりした事があった。こちらは、練習場所が、今は無いのだが、八王子の”アローン”というジャズ喫茶だった。

そして、”ソウル・ストラッツ”。
こちらは、横田基地をベースに、厚木、座間、横浜などの米軍基地が主で、他に、新宿のディスコ、赤坂のムゲンがごく稀に。
横浜のBPという老舗のディスコなんぞも良くあった。

部屋に帰ると、”気の重い”採譜の仕事が待っている。必然的に、家に帰る足は重たく遠くなる。
リハの帰りのサウナが、かなりの気晴らしになっていた。

楽譜の納品は、四谷のリットー・ミュージック。
こちらも、納品帰りのサウナが癒しになっていたのだが、国分寺辺りのサウナが多かった。


そして、当時、”R.C.”は井上陽水の事務所、「なかよし」(奥田さん)にいた。
「ツアー」と言うのは、陽水のアルバム「ワシントン・ホテル」(?)のためのツアーで、R.C.はその前座だった。
・・・この、ミステリー・ツアーが始まる訳だ。

乞うご期待。

 -続-