むかしむかし・・・・。

国立の一ツ橋大学の寮の前で、清志と再会してから、リットーのテープの採譜の生活に、加えて、バンドのサポートの仕事が加わった。


二日後の午後、珍しく部屋のドアをノックする音がした。
窓から外を見ると、栗原と、その後ろに、小林がいた。
肩にギターを掛けて・・??・た。

そして、当時、まだ住み始めてばかりのアパートの部屋で、セッションが始まる。
リンコがもて来たカセットレコーダーに、”遊び”の内容が録音されていたのに、気にもならなかった。


そして、その2〜3日後に、栗原から電話。
”長い長い電話”だった。

いろいろあって、ギターを探していたとのこと。それで、この前に録ったテープを事務所で聞いた・・・という。
・・・で、良ければ手伝わないか??・・・・と言うことだった。

この時、ソウル・バンドをやっていた。
”ソウル・ストラッツ”といい、ベースは、今の「ヒロ小川」。
黒人4人+日本人3人だった。
結成当時は、もう一人、近藤くんというギタリストが入っていた。
所謂、JBsスタイルだった。



・・・まっ、それはまたの機会に話すとして、今は、R.C.サクセションのこと。

・・・・で、長い電話の後、1週間後には、渋谷の渋谷橋そばにあったスタジオにいた。
「O.K.」を出してからの、清志は早かった。
電話の後だったか、その次の日だったか、抱えきれないLP レコードを抱えて来た。
自分たちの最新アルバム”スローバラード入り”とシングル「分かってもらえるさ」「スローバラード」は当然、予想していた「オーティスレディング」のアルバムs。その時に、意外や意外、「ローリング・ストーンズ」のアルバムsも・・・。

これには、さすがに、首をかしげた。

しかし、このストーンズの資料が、私の音楽守備範囲と、生活倫理範囲をはるかに超えた部分だった事に、まだ考えが及ばなかった。-続-