尚美時代の日常

"尚美"は当時、水道橋、後楽園の裏側で柔道の聖地”講道館”の斜向かいにあった。

まだ、近くに5〜6階の"短大"課程のための校舎を建てたばかりの頃だったように記憶している。
"春日通り"と"白山通り"の十字路をあちらの新校舎に行ったり、住所でいうと「本郷」になる旧校舎に行ったりしていた。

入って"カリキュラム"が発表になったときに解ったのだが、ピアノ・楽典・和声学・対位法・聴音・視唱・音楽史・合唱・キーボードハーモニー・音楽美学・管弦楽法・・・とか何とか一杯あって、週一回の専攻楽器のギターのレッスンがあった。

受験をして入って来ている人たちは、"本科"か"教育科"になる。
私は、その前の予備段階の"基本科"から入った。

この場合、「能力検定」の試験があり、各グレードに振り分けられた。
ちなみに、振り分けられた結果・・・、意外と得意だなぁ〜〜と思われたのが、「聴音」だった。好きなのは、「和声学」だった。この「和声学」だが、本格的なもので、普通の音大で使う"芸大和声"を3冊進めていくという内容。

私がこのあたりに、"やる気"を示したのは、当然のことと言えよう。
しかも、教授陣がすごかった。和声学の教授は、この"芸大和声"の著者でもある福島源次郎氏ご本人だった。

記憶に残っている教授先生方は、2年目の本科になってクラス担当になった新垣先生。作曲家の方で、一度、自作の曲も音源を持って来て聞かせてもらったことがある。クラシックの作曲の方で、かなり現代音楽的和声進行が目立っていて、私の"目のうろこ"が取れたことを記憶している。

他には、名前は忘れてしまったが、2年目の本科で始まった管弦楽法の先生。ゴードン・ヤコブの本を一通り済ませたところで、卒業後生徒たちに「手に職を」という親心からか、サックスセクションのアレンジをなぜか授業でやってくれた。
 あの頃は、すでに自力で本を買いあさっていた私は、昭島のABC.lab.Bandに入れてもらい、週に一度日曜には昭島の練習場に通っていた訳で、しかも、何曲かアレンジの真似事をさせてもらっていた頃だった。

そこに、この管弦楽法の授業だった。「渡りに船」であり、しかも、サックスアレンジが定期試験に出た。中間だったか、期末だったか忘れたが・・・、たしか、簡単な弦楽アレンジに、5サックスのアレンジだったと思う。

ポイントは、アルト・サックス(Eb)テナーサックス(Bb)バリトンサックス(Eb)の移調と、各楽器の音域だった。クラスの中で私が、スコア用紙を日常持って歩いて、アレンジに勤しんでいたことを知っていたクラスメートは、「お前は今回ラッキーだったな!」と・・・。
案の定、その試験は、100点だった記憶がある。

前置きが、長くなったが、肝心の樫本先生のギターのレッスンは、意外と試行錯誤だったように記憶している。今思い返すと、内容を覚えていないのである。「先生すいません!」。

と言うわけで、一年上のクラスに、細野義彦さんがいた。彼は、高校を終えずに、尚美に入って来た??らしく、年齢は、私より若かった。その彼の口から、"A.N.JazzSchool"の話が良く出た。彼自身も、通っており、鈴木さんの話をうれしそうに話していたことが印象深かった。
 そして、また一計。私も、A.N.の門をたたいた。

六本木に通い始めることになる。