あの頃 05/「ソウル・ストラッツ」が忙しかった頃・・・

ディノが始めた「ソウル・ストラッツ」との付き合いが仕事になり軌道に載った頃、まだ実家にいたのだが、実家を出なくてはいけない事情に迫られ、夜逃げのように友達の部屋に”イソウロウ”させてもらったことがあった。


つい数年前まで、小林幸子さんの専属ギタリストをやっていた藤本和之くんの部屋だった。荻窪の青梅街道を駅の北側に少し入ったところだった。
確か、一週間くらいだったと思う。


新宿の”ブラック・シープ”というディスコ・クラブが毎日のように続いていた頃だった。帰りは小川君に乗せてもらい、荻窪のあたりで下ろしてもらってた。


そして、すぐに国立の不動産屋を教えてもらい、府中の北山町のアパートに決めた。
このアパートについては、その後の”R.C.サクセション”のバックアップにつながる栗原との再会に非常に近くなっていた。
 わずか、一ブロックのところに栗原が住んでいたということは、何か、不思議なものを感じる。



話は、藤本くん。
遡っては、”日野高校”を卒業して、尚美に進んだ頃、やはり日野高校で同級だった佐藤元信くんという男と、バンドらしきものを始めていた。
 立川にある佐藤の家には、夜な夜な”面白い類”の男達が訪れてきた。その中に、藤本がいた。彼は、北多摩高校だった(?)ように記憶している。
 藤本は、ヤマハのまだ恵比寿に財団があった頃に、ギター科に通っていた。彼の師匠は、高柳昌行さんだった。
 当時から、ギターの奏法については、ストイックな方だったと記憶している。

数年後、佐藤と「各駅停車」で合宿した時に、遊びに弾きに来ていたが目にも留まらぬフレージングを得意としていた。テクニック・コンプレックスの私は、大いに悔しい思いをして見ていたことがあったものだ。


・・・・というようなことを、ふと思い出した。お世話になった友人と言うのは、忘れ難いものであり、又、忘れてはならないと思う。