記憶-フェアモント・ホテル+清志

こちらに綴っておこうかと・・・。
想い出の端々。


まだ、リットー・ミュージックで原稿を書かせていただいてたころだった。”ロッキンF”の取材で、インタビューを続けていた頃である。


ライ・クーダー」が来ると聞いていた。かなり昔から、その存在、ギターシーンにおける特殊な存在感・・・を知っていたし、会ってみたいと思っていた。

 そこで、一人では心もとない・・・のもあって、清志を誘った。
 当時、”R.C.サクセション”と言っても、リットーの人たちは誰も知らなかった。彼らに紹介はしたのだが、なんか連れて来てまずかったかな???・・・という空気もあった。私なりに、紹介して動向をしてもらった。


 ”千鳥ヶ淵”に面したホテルの、ロビーの傍のレストランだった。少し待っていると、アロハシャツを着て「現れた」。
「素朴」???・・・という感じの爽やかな印象が強かった。

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ティールーム:「ブラッセリー・ドュ・ラ・ヴェルデュール」ホテルの1階

・・・・ユーミンの「経る時(ふるとき)「REINCARNATION 」1983.2.21のアルバム」の場所

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リットーの編集の人のインタビューが続いて、私もそれなりに・・・でも、パッとしない質問を続けたように思う。

それで、最後に清志に「何か聞いてみたいこと無い??」・・・と振ってみた。
元来、口のとても重い清志なのだが、その”重い口”から出てきた言葉に、編集の人も含め、もちろん私も・・・驚かされた。


ヒットパレードについて、どう思いますか?」・・・だった。確か、私は、「なんだコイツ!」と思って、苦笑しながらライの方を見たと記憶している。

 その時のライの表情も意外と”真面目”だったことも記憶にある。清志の顔をじっと見つめて、言葉を選びながら話初めたのも記憶にある。

 ただ、その内容は、紙面にのったかならなかったかは、覚えていない。もちろん、帰ってから、編集の人のメモも参考にしながら、原稿を書くのが私の仕事である。
 確か、私は、その件(クダリ)については書いた記憶がある。それを、編集の人がまたチェックして、結果は紙面・・・という段取りだった・・・と思う。


 「清志」の”焦り”・・・と捕らえていた自分がいたように思う。様々に辛酸をなめて尽くしていた男だからの切実な一言だったように思う。
 また、尋ねられたライも、”売れる”ということを命題化されているポップミュージックの世界、それもアメリカの社会の中で、戦っている人である。清志の言葉の裏側をすぐに察知したように思われた。


なんか、今頃だったように思う。こんな季節だったように思う。


「クリス・スペディング」「デイ・メイスン」「ジム・クリューガー」「ロイ・ブキャナン」「スタッフ」・・・今、すぐに思い出されるのはこの位だったか??・・・。