治せないかな〜〜、今の時代の”親”達の事なかれ主義。

”50”を越えたあたりから、??・・・と思うようになってきた。


日本人的な美徳というか、大乗的なおおらかな「礼節」「報恩」・・・そんな対人関係・・・が人間本来のあるべき生き方だと習ってきた。

しかし、「”自分中心”に自分以外、皆、相手を利用する」・・・的な人間関係が主流になってきている・・・気がする。「袖触れ合うも多生の縁」とは日本(?)の古くからの考え方なのだが。

 実にこの考え方、日本人の生き方を巧みに利用して、「全体主義」に持っていって、日本を「戦争」へと駆り立てていた”近衛文麿”という「大悪人」がいる。
 「社会一般の風潮に合わせていく」という日本古来の考え方を利用して、ラジオというメディアを独占し結果、国民をあの戦争へと導いた。

 あの事実を考えると、今の「世相」が生まれて「他人は怖いもの。変質者かもしれない。」という性悪説的な「思想」が一般化しても仕方のない世の中になっているかもしれない。




 映画「スターリングラード」で描かれている当時のソビエト人の考え方とよく似ている。目の前の人間よりも、少しでも上になろうと画策する。そして、より有利な立場で相手を自分の利用しやすいようにしていく。「唯物思想」の顕著な考え方である。

 「人を手段にするな!」とは先哲の言葉である。
 あなたには、私にない才能がある、私はあなたよりこの部分で優れた才能がある。だから、信頼しあって手をつなごう。そこに「1+1=∞」という考え方が生まれる。
 これが、真の民主主義であり、大乗的な思想の目指している対人関係なのだが・・・。


昨今の「猟奇的な殺人事件」は「壊れていく日本人」の象徴的な事件と言える。
「氷山の一角」という考え方があるが、この手の事件には、これは当てはまらないだろう。

 しかし、「ベビーブーム」が終わり、その世代が”競争の論理”でお互いに蹴落とし成り上がって今の社会=日本が形成されていったわけで、その世代に位置する私自身にもその責任の一端はあるかもしれない。

 「ロスト・ジェネレーション」という世代が今の日本の精神的基盤を構築した・・・・とは、理性的な評論家の定説である。
 
 
 電車の中など、「公共の場で、周囲の迷惑を考えずに騒ぎ散らす子供を、見かねた他人の老人が、説教する」・・・といったほほえましい光景は皆無な状態になった。
 実の親の考え方がおかしくなっている時代である。そんな老人に対して、そばにいる親が「なに言ってのこの変人が・・・」という光景が普通になってしまった。


 今の”母親・父親たち”が壊れてしまっている人が多い。
「社会」全体で子供たちを見守り育てよう。
・・・・話が、広がりすぎそうである。このあたりにしておこう。”変人オヤジ”のタワゴト・・・である。