あの頃 03 ”出版社”の仕事が加わり、「締切」というものに追われるようになり・・・。

”出版”の仕事は、「締切」と言うものがある。
国立に住むようになって、まず、「電話」を入れた。この辺の手続きについては、国立のミュージシャン仲間のアドバイスが助かった。

もともと、「ソウル・ストラッツ」の仕事の関係で国立に引っ越して来た訳で、仕事の無い日は、”駅前”まで散歩に出た。

引っ越したアパートは、東区の外れで、「府中市・北山町」になっていた。
アパートの前の道の西側向こうが国立市で、北側の道路の向こうは国分寺市になっていた。部屋の斜向かいにスーパーマーケットがあり、そこで日用雑貨、食料は買い込んでいた。

駅前まで行くのは、銀行で金を出す為でもあり、「街」というには長閑過ぎる国立の街は好きだった。駅前から、東の方に”富士見通り”??だったかの大通りが延びていて、その道をまっすぐ行くと、国立音大のキャンパスがあった。そのはるか手前、駅からすぐのところに、「ミスター・ドーナッツ」があった。

コーヒーを飲みに入ると、たいがい誰か知ったミュージシャンが来ていた。一緒にコーヒー飲みながら、世間話なんぞに花を咲かせた。



私の住んでいた「北山町」は、府中駅から京王バスの路線もあり、北に少し歩くと、「西国分寺」の駅もあり・・・・。後は、「国立駅」という交通機関にいくつかの選択肢があった。

 都内に行くには、「京王バス+京王線」の方が、交通費が安かった。
渋谷方面は、必ず「京王線」だった。新宿方面は、「西国分寺国鉄」。反対に、”西”へ向かう時には、「国立=国鉄」だった。




 ”出版社”の仕事が繋がり始めると、会社は四谷にあったので、中央線が多くなる。たしか、国立よりも西国分寺の方が、¥20ばかり安かった記憶がある。それで、少し歩いて西国分寺を選んだような???。
アパートを出て、右=北に向かう。細い道を北上すると、”多摩蘭坂”の中腹に出る。そのまま、坂を横切って、住宅街を北上すると、雑木林の中を歩くようになる。そこを抜けると、切通になっている中央線を見下ろしながら、右=東に歩く。
 その辺りから、西国分寺の駅の建物が見えてきていた?・??ように記憶している。

 
 話は戻るが、仕事の無い日は、ふらりふらりと駅前辺りを散策したり、ミスター・ドーナツで会った友達のうちを尋ねたりした。
 ・・・が、出版の仕事が入ると、「締切」の頭があるので基本的には部屋にもどる。なんか”気忙しさ”が常にあったように思う。
「ロッキン・エフ」が始まると、毎月毎月の締切が始まる。必然的に、四谷まで通うようになる。担当の人が”届け”や”受け取り”きてくれたりもしたが、それもごく稀で、ヨッポドの時だけだった。 


この間、国立に用事があり車で行った。
昔住んでいた北山町のアパートも今は無い。
斜向かいのスーパーも無くなっていた。