ピーター・ガブリエル

久々聞いた。
元来、プログレの感性というものは、肌のなじまないものが多かった。・・・が、仕事の関係上聴かざる終えなかった・・・・・若い頃である。20代〜30代、ロッキンFの記事を書いていた頃だった。

9月に我が母校の”都立日野高校”で文化祭があると言う。その時に、「パネルディスカッション」・・・・??になるかな・・・・があると言う。

その「イベント」の企画実行委員会の方とお会いした。
何故、急に”ピーター・ガブリエル”なのかと言うと、その方がプログレッシブ・ロックが好きであると言うところで、話が弾んだからである。

なんでも、娘さんが日野高校に在学しているとの事。
何のことはない、我輩の”後輩”の母上である。




30年間、文化祭はおろか、同窓会にも一度も行ったことが無かった。なぜか、照れもあったし、その位、高校時代の私は、影が薄かった。

「オタク、ジミ、ハマり症」で「子供」だった私は、当時の同級生からは、印象の少ない生徒だったはずである。

その私が、栗原と一緒に、たとえ短い期間でも、一緒に演奏活動をしていたなんぞ、当時の同級生からは想像も出来ないはずである。

高校時代はブラスバンドクラリネットを吹いていた。
それと掛け持ちで、放送委員会に席をおいていた。
放送室という空間は、3年後期私の絶好の隠れ家になった。

昼休みの番組を作る原稿作ったり、曲探したりが多かったが、その時に、当時同じクラスだった、栗原=忌野清志郎のデモテープをかけさせてもらったことがあった。
確か、その時は、「2時間35分」だった記憶がある。



・・・とか何とか、昼休みの放送が終わると、午後の授業が単位の足りている授業だったりすると、そのまま、内側から鍵をかけて、放送室から見える”多摩丘陵”を眺めながら、好きなレコードを聴いたりしていた。

ある種イジメの対象だった私は、身を守り、心の安らぎをそんなところで得ていたのかもしれない。

6時限が終わると、後輩たちが放送室に入ってくる。
そんな彼らと入れ替わりに、音楽室でもグラスバンドの練習に出かけた。

およそ、高校の中で、バンドや当時の流行のフォークというシーンには顔を現していなかった。そんな、私が、「栗原(忌野)と一緒にやれるはずはない」という風に思っている同級生も多くいるだろう。
うがって考えるに、去年のフライデイでの私のコメントは、”作り話”であると思っている同級生も多々いるはずである。

そんなわけで、まだ気持ちの上で9月のそのイベントに参加するかしないかは、心の中で定かではない。”いや〜〜〜な”想いをするのは、もういやである。
ここのところ、その手のいやな想いは、散々してきている。

しかし、事実は事実。
1978年のある時期、自分の持てる人間関係を全てRCに投入し続けた。



あの当時の自分を、ここのところでまた振り返って見た。
あの時の”RCサクセション”は、私にとって、「One of Them」だった。
リハーサルが終わると、部屋に戻るのだが、机の上にはコピーする五線紙が積まれてある。
その傍らには、カセットプレーヤー。

あの当時、立東社では、海外のバンドのパート譜を出していた。
新譜が出ると、レコードが国内で発売になるかならないかのタイミングで、パート譜を出していた。そのパート譜を採譜していたのである。

遠くは、「バッド・カンパニー」「レインボウ」「マイケル・シェンカー」「オールマン・ブラザーズ」「ドゥービー・ブラザーズ」「チープ・トリック」「ヴァン・ヘイレン」「エリック・クラプトン」などなど、思い出しただけでもこのくらいだが・・・・。

人間、いやな記憶は忘れる習性があるようだ。

オープンテープから落としたカセットを少しずつ回しながら音符にして行く。”根気”と”聴覚”の「腹筋」見たいな作業である。
”RC”のリハーサルがある日は、自分の部屋に戻りたくなかったので、リハが終わると栗原を誘って、飯を食いに行ったり、サウナに行ったりした。
余程嫌だったようである。・・・最近、そんな”状況”だったことも思い出した。

そんな風に、当時の人気海外バンドを片っ端からコピーしまくっていた私の”引き出し”の中身で、”RC=忌野清志郎”と対峙していたように思う。
当然”仕事の素材”と”趣向=好きなモノ”は違うわけで、好きだったブラック・コンテンポラリーや、クロスオーバー、フュージョンなJazz(懐かしい響きがするが・・・)、西海岸のロックは題材にも登らなかった。

並行して、ソウルバンドもやっていた。RCのスケジュールとバッティングし始めて、止めることになるのだが・・・。こちらは、完璧なブラコン・バンドである。
「コモドアーズ」「テンプテーションズ」「アース・ウィンド&ファイアー」「タワーオブパワー」「クール&ザ・ギャング」「オハイオ・プレイヤーズ」などなど、当時のディスコシーンでのヒットパレードばっかり・・・・。

そこに、”RC”が入って来ていた。
頭の中は、かなり混乱を来たしていたいたかもしれない。

まあ、図式で表せば、垂直に忌野くんの矢印を太く書くとすれば、斜め下からクロスして逆斜め上にすり抜けた奴だったような・・・感じがする。
上の画像はそれを現したモノである。時間軸を下から上に、ジャンルを横にとれば、それぞれの音楽的志向の違いは解っていただけよう。

”文字と言うメディア”に対する一般的意識は決して肯定的ではない。まして、”フライデー”である。神山さんと言う人は、真面目な方である。決して嘘を書くような方ではない事は、ここ一連の付き合いの中から断言できる。
 問題は、同窓生である。すこぶる厄介な部分ではある。まだ、心は定かではない。どうしたものやら・・・、行くべきか、行かざるべきか・・・・・・・・?・??。