目まぐるしく動き始めた周囲の動きに、どう対処していくか???

清志郎”こと”栗原清志”の”遺品”の件で、様々な「動き」、私に対する「働きかけ」が始まっている。

”道義的”にどうするべきか?
”法律的”にどうするべきか?
”自分の意思”はどうなのか?

清志の逝去とともに始まった”キヨシロー”ブーム。
梅津さんならどうするか?
新井田君ならどうするか?
柴田君ならどうするか?
リンコ小林ならどうするか?
ハレンケンチこと桶田君ならどうするか?
そして、チャボならどうするか?

あの時、一緒に”清志”と活動をしていた仲間の一人、ヒロ小川は、今、私のそばにいてくれている。
ただ、小川も知らない、多分、小川も知らない清志と私の接点・・・、「日野高校の同級」から一時期「バンドのメンバー」になった私の部分・・・。
この部分は、「三浦君」とリンクする部分である。

三浦君はどう考えているのだろう?清志との長い友情の月日を・・・。


「時には、自分の心の声に従うことも必要」・・・という映画のセリフを想い出す。
私は、迷った時、人に相談して決めることが多い。

自分を曝け出し、自分の人脈をすべて清志に曝け出してバンドの曲がり角を曲がろうとした私。
そして、そこに”プロ”に徹し切れなかった私の”愚行”。
当然・・・はじき出された・・・、あの”人脈”から・・・。


今、「忌野清志郎」の実像をあぶりだそうと、「栗原清志」の実像に光を当てようとする動きがある。
こんな世相である・・・、それは確かに”価値のある”情報源であるかも知れない。
しかし、それは、あくまでも「ビジネス」という「金銭的」価値に置き換わろうとしているように思える。

その証拠となる、”価値ある”モノが私の手元にある。
これに”価値”を見い出してくる動きもある。

法的に間違っていなければ、良いのか?
どうしたものか??